中坊進二が想いを馳せる京都の幻の都について


平安京はよく400年ももったと中坊進二は感心します。
平城京(奈良市)が710年に作られ、740年に一度、
恭仁京(木津川市)や難波京(大阪市)に遷都し、
745年に再び、平城京に戻り、
784年に長岡京(向日市、長岡京市、京都市西京区)に遷都し、
794年に平安京へと移り住みました。
恭仁京や難波京については中坊進二、いま初めて知りました。

平城京や平安京は歴史の教科書に載る程有名ですが、
長岡京についてはあまり知られていません。
一応、中坊進二の知識としては、
平城京から平安京への繋ぎとして教わりました。
実際、10年では歴史に残るようなことは起きないのかもしれませんね。
歴史に残った出来事でしたら、僅か10年で遷都したその理由でしょうか。
遷都翌年に暗殺、幽閉、配流(流刑)、死去、
さらに、日照り、飢餓、疫病、放火、死去、
洪水、と不幸な出来事が立て続けに起きてしまい、
その原因を陰陽師に占わせたところ、
この長岡京という地は風水的に良くないということから、
次の安住の地として現代の京都の中心地である
平安京へと移り住むことにしたそうです。
なお、長岡京から平安京への遷都は10年後ですが、工事の記録をひも解くと、
5年目である789年頃から既に平安京への
遷都計画は実行に移りつつあったそうです。

長岡京が歴史に残っていない理由は他にもあり、
史跡が土中に埋まっていたというのもありました。
平城京跡のように、門や寺社がそのまま現代まで残っていれば別ですが、
長岡京の名残のほとんどは京都の真下に埋もれていたそうです。
実際、最初に発掘した1954年までは、長岡京は幻の都と呼ばれていました。
その名残にしても、未完成の建物が多かったそうです。
遷都5年で次の都の計画を建てたのですから、
長岡京は未完の都市とも言えるかもしれませんね。

たまには、幻の都とも呼ばれた京都の長岡京のことについても、
中坊進二と共に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。