中坊進二が京都を舞台にしたドラマについて考える


中坊進二は毎週、大河ドラマを観ています。
主人公は女の人で、その女の人はずっと山口県(長州藩)に居るのですが、
その舞台の演出上、どうしても京都が描かれやすくなります。
それだけ、その時代の京都が絵になりやすい出来事が起こっていたのだと思います。
そして、そのドラマの主人公サイドは長州藩ですので、
薩摩藩と会津藩は敵役として描かれています。
そして、主人公サイドはなるべく美化されるものですので、
“歴史的事実が確定していないもの”はなるべく、
主人公サイドに好感が持てるように演出されます。

中坊進二が特に気になったのは、京都の池田屋事件の契機になった
「長州藩による天子様誘拐未遂事件」です。
もちろん、これは仮説の域を出ませんが、
そのドラマの主人公サイドは長州藩ですので
「私たちはそんな計画を練ってもいない」と言います。
あたかも、この未遂事件は新撰組がでっちあげたこととして演出しています。

繰り返しますが、ドラマはフィクションです。
「○○だと言われている」ことを
「絶対にこうした思想を持っていた」と演出できるのが、ドラマであり映画です。
中坊進二が危惧していることは、視聴者がこのフィクションを
現実の歴史として受け止めてしまうということです。
その歴史上の人物が考えていたことは、
手紙などが残されていない限り分からないものですが、このドラマを観た人は、
「この人物はこんな性格の人物だったのか」と断言してしまう可能性があるのです。
京都で池田屋事件が起きた、といった大きな事実でしたら間違えようもなさそうですが、
個人の思想をしっかりと描写してしまうドラマの出来事を、
完全な史実のように捉えるのはとても危険だと中坊進二は思っています。